飼い主名:ひなた 様
愛犬の名前:ちゃげ

愛犬写真 ちゃげ

30歳の時。
節目の自分へのごほうびとして、
小さい頃からの夢だった犬を飼いました。

初めての犬。
何もかもがすごく気合いが入り、
名前を付けるのにも、わざわざ
犬用の姓名判断の本も買ったりして。

一週間ほどかかって、
考えに考えて決めた名前。

なのに、
名前が決まる一週間くらいの間に
仮の名前として付けた、単純明快なひびきのその名前でしか、
もう反応しなくなっていました。

その名はちゃげ。
茶色い毛だから、ちゃげ。

まだワクチンも済んでいないくらいの頃。
ちゃげを迎えて間もない頃に、
私はインフルエンザで
熱を出して寝込む羽目になりました。

ちゃげはまだ、
本来なら1日に数回に分けて
ごはんをあげたり、
何度もオシッコのお世話を
してあげなくてはならないくらいの
時期です。

どれくらい寝込んでしまったか、
熱でうなされながら目が覚めた時、
私の目に入ったのは、私の枕元で
私の顔を心配そうにのぞきこんでいた、
まだ小さなちゃげの姿。

私が目を覚ましたとわかると、
シッポをピン!とたてて
ブンブンブンブン、嬉しそうに
振り始めました。

いつもより、ごはんの時間があいちゃって
おなかが空いていただろうに。
トイレシートをすぐ換えてもらえなくて
気持ち悪かっただろうに。

シッポを懸命にふる小さなちゃげの姿に、
「何があっても私が守って行くんだ」
あらためて強く思った瞬間でした。

ちゃげとの16年間、いろんなことが
ありました。

家族内の事情もあり、何度かの転居、転職。
ちゃげにとっては、決して環境が
よい時期ばかりとはいいがたい
16年間だったと思います。

それでも大きな病気をすることもなく、
いたずらに手をやくこともなく、
きちんとお留守番ができたちゃげは
本当に手がかからない、私には出来過ぎた犬で。

私は、そんなちゃげに甘えていた
部分があったかも知れません。
決して、16年半まるまる、
いい飼い主だったとは言えませんでした。

童顔で、外見も若々しかったちゃげ。
ばくぜんと、このまま20歳くらいまで
生きてくれて、
ピンピンコロリなんだろうな、
なんて思っていました。
東京オリンピックもちゃげと
ゴロゴロしながら見てるんだろうな、
なんてことも思っていました。

2018年の1月。
まだまだ元気だと思っていたちゃげに
異変がありました。

ちゃげのこと、きっと大したことはない。
安心するためだから、と思って受診させた
検査結果は非情なもので、治ることはない
疾患にかかっていました。

それも呼吸器疾患。
生きる上で一番大切な部分です。

その日から、ちゃげは酸素室の中で
生活を送ることになりました。

濃い目の酸素室の中にいても
呼吸が苦しそうなちゃげ。
ごはんをあげるにも酸素室の扉を
そっと開きながら。
酸素濃度が下がってきたら再度
扉を閉めて少し休憩。

そんな生活になってしまったちゃげとは、
もう一緒にベッドに入ることも、
苦しそうにしていても、思う存分に
抱っこして安心させてあげることも
できません。

酸素室に入ってからのちゃげは、
目に見えて弱って行きました。

老いから来るもの、病から来るもの。

それまで、ごく当たり前にできていた
ひとつひとつのことが、ひとつひとつできなくなって行きました。

何度も「覚悟をしてください」と先生に言われ、
その度に、持ち前の生命力で乗り越えてくれたちゃげ。

酸素室で生活をするようになってから
3か月が過ぎ、私の誕生日を迎えました。

毎年、私の誕生日はちゃげと
一日のんびりと過ごすことが恒例と
なっていましたが、おそらく、
今年の私の誕生日がちゃげと一緒に過ごせる最後の誕生日。

当たり前のように毎年過ごして来たけれど、
来年の私の誕生日には、きっとちゃげはいない。

そう思うと、少しだけ思い出を作りたくて、
苦しくなることがないように、
携帯酸素を持って、ちゃげを酸素室から出し、
少しの時間、抱っこをして外に出ました。

「ワン!」

ちゃげが一声だけ吠えました。
普段からあまり吠えないばかりか、
病気になってからは吠える元気も
キュンキュン鳴く元気もなくなっていた
ちゃげです。

今となっては、力を振り絞って
一緒に過ごせる最後のお誕生日に
私に「おめでとう」を
言ってくれたんだと思います。

私の誕生日から4日後。
頑張り屋のちゃげは旅立って行きました。
その日は私の仕事のお休みの日でした。
どこまでも私に合わせてくれる、
飼い主孝行の可愛いちゃげでした。

ちゃげの誕生日は10月14日です。
そして、私の誕生日は5月5日、
ちゃげが旅立って行ったのは5月9日でした。

私の誕生日とちゃげの旅立った日を足すと
ちゃげの誕生日になります。
こじつけだと笑われるかも知れません。

けれど、ちゃげを失い、
悲しみにくれる中で、
ふとその日付のことに気が付いた時、
ちゃげと過ごした16年間半は
ちゃげ一匹と私ひとりでワンセット。
ちゃげの姿は見えなくなっても、
ちゃげと築いたすべてのものは
すべて私の中にあり、残されているのだと、
前を向こうという力が湧いてくる気が
しました。

私は、30歳になったごほうびを自分で
手にいれたのではありませんでした。

実際は、30歳の時に、
人生最大のごほうびとなる存在と出会えた。

そしてその存在は永遠で、
目に見えないくらいに
大きなものに姿をかえた。

そうだよね、ちゃげ。それが正しいよね。